失望しなかった

仕方ない、関係ない、興味がない。

僕の出る幕じゃない。

そう想える場面が増えてきた。

そうすると職場の苦手なおばさんのことがあまり気にならなくなってきた。

気にしても疲れるだけ。

仕事場だけの付き合いだ。

この人がどうなろうと僕にはあまり関係ない。

そんなふうに思えるようになってきたのにはきっかけがあった。

僕のいる部署の責任者は僕よりひとまわり年下の男性だ。

彼はよく頑張っている。

だから僕は彼のためにも頑張ろうと思っていた。

ある日彼がおばさんといっしょに客様の悪口を言っていた。

ちなみにその彼もおばさんのことは僕と同じく苦手だ。

もともと愚痴の多い男ではあった。

だけどお客様のことはそれほど悪く言わなかった。

お客様のおかげで自分たちは仕事ができると言っていた。

その彼がすごい勢いでお客様の悪口を言っている。

しかも明らかにお客様の言い分が正しいにも関わらず、「なんだか嫌い。腹が立つ。謝りたくない」と繰り返していた。

おばさんも激しく同意していた。

それを聞いて僕は彼のために頑張ろうという思いが無くなったようだ。

これまで僕はおばさんがいいかげんな仕事をしていたら、お客様のため、彼のために、おばさんになんとなく意見を伝えていた。

それは本来であれば彼がやるべきことだ。

彼はずっとそれを避けていた。

避けてあとで愚痴っていた。

僕はこれからはその役割を担わない。

僕も出しゃばりだったと反省したから。

彼のことを嫌いになったわけではない。

彼の人格に対する評価にそれほど変化はない。

彼の人生だ。僕には関係ない。

そう思えるようになっただけ。

同時におばさんの悪いところも意見するほどまでには気にならなくなっていた。

あきらめるってこういうことか。

彼やおばさんにもっと失望するかなと思っていたけど。

好きか嫌いかしかなかった僕にとっては初めての感覚だ。

こんなふうに気持ちに変化があるときは、その変化を止めようとする力も働く。

それがいま自信のなさというかたちで僕の心を揺さぶっている。

変わらないでいろよ、人に期待し続けたらいいじやん、人に興味を持ち続けたらいいじゃん、人に興味を持たなくなったらさみしいよ、虚しいよ、と足を引っ張ろうとする。

それが自信のなさとなってあらわれているのだと思う。

人生で一番大きな変化のチャンスが訪れている。

だから必ず変わる。

戻らない。

他人は他人だってことが腹の底から納得できたとき、僕は僕、僕の人生は僕が決めるとはっきり宣言できるようになれるはずだ。

やっと、ここまでたどり着いた。