らしく、しかできない
口数を減らすととても楽だ。
疲れたときは口数が減る。話すのは疲れる証拠だ。
だったら口数が減ると楽なのも当然だ。
言葉は最低限でいい。
必要なことだけを必要な言葉だけ使って伝えられたら十分だ。
僕は芸人ではない。言葉で人を必要以上に楽しませる必要もない。
これまでかなり無理をしてきた。
場を良くしよう、和ませよう、意味あるものにしよう、僕を理解してもらおう、彼を理解しよう。
僕なりのサービス精神で言葉を重ねてきた。
それらの全てが無駄だったとはいわない。
無口である方がいいとこれまでの体験が教えてくれたから。
僕が何者かを理解して欲しかったし、彼が何者かを理解したかったけど、お互いに理解なんてできないとわかった。
自分の中から生まれてくるものとじっくり向き合う生き方が僕にとっては幸せだ。
人に理解してもらうために何かをやるのではなく、自分のためにやる。
自分のためにやって、自分と向き合い、自分を理解してはじめて人も理解できる。
人を理解する前に自分を理解しよう。
若いころにロックだ芸術だと騒いでいた奴らはみんなまっとうに生活している。
僕は未だにそれができない。
かっこつけていってるんじゃない。
まっとうに生活できないのはかっこ悪い。
はっきりとわかっている。
でもなぜかできない。
できないなら、それで生きるしかない。
僕なりにまっとうになる方法としては、表だっての個性を消していくというやり方しか思いつけない。
負け犬は吠えるな。
負け犬は気配を消せ。
表に出ようとしなくてもいい。
もう安心して自分と向き合え。