はりきらず、そこにいる
人から相談を受ける。信頼されているような気がして嬉しい。はりきる。
相談を持ちかけた相手からしたら誰かに言いたかっただけで、赤の他人でなければ誰でもよかった。
相談してきた本人がすでに出しているが気づいていない答えにたどり着くために利用されたけだ。
でもそれはそれで人の役に立っている。
相談者は犬や猫を相手にしたのでは答えにたどり着けない。
相槌や共感、受け入れる気のないアドバイスをもらうことで相談者は気持ちを整理できる。
誰でもいいのだが、人間でなければならない。
そういった点で、誰でもよかった誰かに選ばれ、相談を持ちかけられたことには意味がある。
自分が人間としてただそこに存在し、話を聞くだけで人の役に立っていると感じられ、なんの見返りも求めないでいられるのであれば相談にのればいい。
というかそういう人しか相談になんかのれない。
頼られた気がして嬉しくなり、はりきって相談にのるような奴は相談を受けてはいけない。
そういう奴は相談者を自分の意図する方向に導こうとする。
するとすでに自分の中に答えを持っている相談者は反発する。
するともっと力んでアドバイスをする。
相談者の反発はさらに強くなる。
最後には、「アドバイスを受け入れる気がないなら最初から相談なんてもちかけるなよ」とイラついて終わる。
そこにいて相手の感情を受け入れながら話を聞き、意見ではなく、ただ感じたことだけを伝える。
それができる人しか相談にはのれない。
アドバイスしたい。感謝されたい。
そんな思いを持ちながら相談を受けるなんてもっての他だ。
だから僕は相談にはのらない。