アイムラッキィマン

今自分が置かれている環境は自分自身の思考、感情、行動などがもたらした結果であり、誰のせいでもないということ。

これがしっかり肚の中に落とし込めたら生きるのが楽しくなる。全てが自分の意思や努力によって変えられるからだ。

僕の性格でいくと、全てが自分の責任だと考えるとき、否定的な現象に目を向ける癖がある。アルバイトの身であるため年収が低い、それにより生活が不安定、服なんて大手衣料品メーカーのものしか買えない、欲しいギターの一本も買えないのは当たり前で、大好きなビールではなく安酒を少しずつしか飲めない。といったことにばかり焦点があたり、こういう情けない生活をしなくてはならないことの責任が自分にあるなんてとても納得できないとイライラするわけだ。

こういうことを書くと、「そんなことでイライラするなんて甘い」って言う奴が必ずいるけど、幸不幸の感じ方ってゆう超主観的なものに対して、感じ方を指示してくるお前が一番甘い生き方をしてるってことに早く気付けバカ野郎、人のことをとやかく言う前に自分の人生をちゃんと生きた方がよろしいんじゃありませんか、と言っておく。

とはいえ、44歳でアルバイト、年収が低くて不安定な生活にもかかわらず、とりあえず大した不満もなく過ごせているということは有難いことではある。

で、もう一歩踏み込んで考えると、僕はかなりの強運の持ち主だとも解釈できる。僕みたいな稼ぎが悪く社会的なポジションを持たない、信用も実績もない中年オヤジが普通に生活できているということひとつでかなりのラッキーマンだ。

ラッキーであることも僕の責任=実力であるなら、僕は僕の想像し得る世界で生きる中では強運の持ち主の一人ということになる。

この結果が自分の責任の範囲内だってことはよく理解できる。だって不動産の購入や博打で借金を背負ってるわけではない。衣食に不満があってもガマンはできるし、妻に八つ当たりをしたりしない。酒乱でもない。暴力もふるわない。そういう意味では僕は今の環境に見合った生き方をできているからだ。

僕としては自分らしく生きてきた結果がこんなことになっただけで、荒れてやろう、ひねくれて生きてやろうなんて思ったことは一度もなく、ただ自分に素直に生きてきただけ。だから苦しみもあるけど、それに見合うだけのラッキー=自分らしく生きられる環境もあるのだと思う。

どうせなら自分のことをもっともっとラッキーな奴だと認識して生きてやろう。僕はラッキーだ。

アイムラッキィマン

アイムラッキィマン

アイムラッキィマン

真言のように唱えて生きよう。

で、僕はラッキーだ、とだけ考えていたらすぐ調子に乗って大失敗をしてしまうのは火を見るよりも明らかなので、コツコツできることを確実に積み上げていくという日々是地味日的な努力を忘れないようにしていけば、まぁまぁそこそこの50代を迎えられらのではないかと思っている。