人とはうまくやればいい

44歳の秋にきて大きな気づきがあった。

「人とはうまく付き合えばいい」

これだ。

人と接するときに僕は無意識のうちに2つの「すべきである」という考えに縛られてきた。

ひとつは誠意を持って人と接するべきというもの。

もうひとつは正論を貫くために現実を変える努力をすべきというもの。

誠意とは裏表のない態度のことで、簡単に言えば好き嫌い、喜怒哀楽をトラブルにならない程度に表現しながら人と接するというもの。

正論とは主観的な道徳的価値観で物事を善悪にふりわけて解釈し、善を押し通そうとすること。

僕はずっとこの2つのルールに則って人と接してきた。

トラブルが続出する人生だった。

好きを態度に表すのならまだしも、嫌いまで態度に表して良い人間関係を築けるはずがない。

嘘をつくな。不倫はするな。真面目にやれ。怠けるな。株は安いときに買い、高いときに売れ。バットにボールを当てて野手のいないところに飛ばせ。世界人類を等しく愛せ。等々。正論言われても、「で?」としか思われない。

その結果は今。

居場所がなくなり流浪の人生となっている。

もう後がない44歳の秋。一応、実りの秋。 

ここにきてやっとわかってきた。

べきであるという考えはやめるべきである。

べきであるという考えのもとに行動して、理想の環境を作れたためしは一度もない。

べきであるは相手も自分も縛りつける。

縛り付けた結果は相手より自分の方により多くはね返ってきて、居場所を失い続けてきた。 

誠意と正論で生きれば道は開ける、正直者はバカをみないと信じてきた。

間違っていた。

誠意と正論を持ちつつ、人とはうまく付き合えばよかったのだ。

自分の価値観を人に押し付けない。

べきであるからは解放されるべきである。

やっとわかった。

うまくやるのはずるくない。

うまくやることで自分の居場所も、人の居場所も作ってあげられる。

人のことをバカだ、アホだ、能無しだ、なんであんな奴が俺よりいい女連れて多く稼いでるんだ、等々、思ってもいい。ひがんでもいい。

それは心のなかにとどめておいて、その人とうまくやっていけばいい。

気持ちを表に出して相手を罵るのもいいけど、心の中で罵るのもそこそこ面白いってこともわかってきたし。ひひひ。

人は関係ない。

人に興味はない。

人とはうまくやればいい。

べきであるはやめるべきだ。心の中で罵ろう!

楽に生きられるようになってきているのを実感する44歳の秋。

この気持ちを収穫して、美味しくいただきます。