なぜ世間の相場で測りたい
〜気持ちの変化 メモとして02〜
人の心のほんとのところはわからないなら、他人が僕のことをどう見ているか、どう判断をくだしているか、そこのほんとのところもわからない。
他人からどのように見られたいか、そのためにはどうしたらいいのか。人の心のほんとのところがわからない限り、そこを考えても正解はわからないということになる。この手の努力は的外れになる可能性がある。
他人の目を基準にしてあるべき自分を決めるとしたら、いつまでも心は定まらず不安定な自分のままだ。
理解し尽くすことのできない人の心を基準にする限り、わからないということばかりに振り回させて自分の気持ちが定まることはない。
人の目を気にして悩むより、自分がどうありたいかを追求する方が心の安定につながるのではないか。
僕はどうありたいのか?
・毎日少しでも何かしらの成長をしていたい。
・日常生活において地味ながらもやるべきことに黙々と取り組む人でありたい。
・常に静かな幸せを感じられる人でありたい。
・常に学ぶ人でありたい。
・人の言動に左右されない人でありたい。
今のところ思いつくのはこのあたり。
これをみると他者からどう見られているかというのは僕にとっては大した問題ではないとわかる。
なのになぜか他者の目を気にしている。
世間の相場を基準にして自分がどのあたりに位置しているのかを知ろうとする。
それで相場より上にいると判断できたら幸せをなのだろうか?
なにか違う。
もうちょっとでなにかが見えてきそうだけど、まだ見えない。
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南無阿弥陀仏 ( ̄人 ̄)