自問自答癖をつける

言葉数を減らすとネガティヴな感情につかまる時間を減らすことができる。

感情が揺れるとき、それに合わせて言葉を発してしまうと感情の揺れがどんどん大きくなる。感情が言葉を、言葉が感情を後押ししていく。感情がおさまるのに時間がかかる。激しく揺れる感情に疲れるまで、白けるまで言葉を重ねてしまう。そして後悔する。

言葉を慎むことで自分の感情による影響を少なくとも自分自身だけに止めることができる。人を巻き込む可能性が格段に減る。

音として発せられる言葉の目的は他者へ何かを伝えること。伝えた何かによって相手に変化を起こそうとして言葉を使う。

ネガティヴな感情を言葉にすることで相手を威嚇したり、屈服させたり、相手に共感を求める。そんなのは弱い人間のすることだ。

他人を巻き込むことで自分の感情を落ち着かせようとしている。

なんらかの言動に現さない限り人に伝わりようがない自分の感情という超個人的な問題を他者に無理やり共有させることで自分の心の平安を得ようとしているのだから。自己満、自己中の極みだ。

自分の問題を自分で解決、消化できない奴ほど感情をあらわにする。

弱い犬ほどよく吠えるとはこういうことだ。

暴力的、感情的な言動をとる奴はさみしくて仕方ない奴だ。人から相手にされたい、かまってほしい、認めて欲しい、「あなたが正しい」と言ってもらいたい。僕がそうだったからよくわかる。

様々な宗教で言葉を慎む修行があると聞く。

自分を見つめるためには自分に語りかける言葉が必要なのであってそれは頭の中で発せられるだけで十分だ。音声にする必要はない。音声にしてしまうったときから他人へのアピールに変わり内省ではなくなる。誰かのせいになる。自分で自分を癒せないから他人を巻き込もうとする。

他人を巻き込まないためには内省を重ねるしかない。自分で自分を癒せるようになるためには、自分で自分に語りかけ、自分を納得させるしかない。他人に頼る限り、他人がいなければ救われない人間で終わる。

感情が揺れるとき、まずは自分に語りかけることだ。何があった? どうした? どうしたいのか?

自分への質問は感情と自分に隙間を生む。その隙間にまた質問が入り込み、感情との隙間が広がる。そうしたら落ち着きを取り戻せる。

相手に問う前に自分に問おう。

どう感じたい? どうしたい? 

問われるべきは自分だ。

南無阿弥陀仏  ( ̄人 ̄)