七三分けで度肝抜く雰囲気を

勉強すればするほど自分の知識の少なさがわかる。

人生を楽しむためにはもっとたくさんのことを知りたい。知識が増えたら普段の生活のなかでおこる様々な出来事に関しての情報量が増える。

一日の持つ意味がこれまでとは少し変わってくる。

知識が増えていく喜びのなかで一番嬉しいのはだんだん口数が少なくなっていくことだ。人よりは何かを知っていると思っているときは口数が多くなる。僕はこれだけのことを知っていますとアピールしたくなるからだ。

コツコツ勉強を続けていくと、そういう欲も消えていく。言葉でアピールしたってあまり意味がない。あれこれ偉そうに語るよりも自分の知識が活かせる場所で生きられるよう努力することの方がよっぽど大切だと考えるようなった。

例えばセンター試験からはじまり、東大の過去問を満点近く取れる人がいたとする。模試に関しては余裕で東大合格圏内なのに本番になるとあれこれ理由をつけては受験しない。そして試験が終わったあとその年の試験問題を解いては、「受験していたら間違いなく受かっていた」ことをアピールする。

極端な例えだし、東大受かるほどの能力なんて持ち合わせていないけど、僕はこんな感じで生きてきた。

結果を出すことにチャレンジしていないからなんでも言えた。古い言葉だけど「駄サイクル」ってやつだ。

「東大に受かるだけの学力を持っています」と履歴書に書いてもそれを面接の場で証明することはできない。「じっくり付き合っていただけたら、僕が東大に入るくらいの、いや、それ以上の学力を持っていることはわかってもらえるはずです」と訴えたところで信用は勝ち取れない。

逆に「東大卒」と書いてあれば余計な説明はいらない。一発で理解してもらえる。

「個性で勝負」という考え方を理由にして、初対面の人にでも僕の個性を伝えられるための結果を出す努力を怠ってきた。

今となっては東大卒とも、大企業経験者とも、ひとつのことをコツコツ積み上げてきたとも言えない人生となった。

そんな僕だから、これからは口数を少なくし、行動で気持ちを表せるようになる。

「あの人は特別なにも持ってないんだけど、何かを持っているような気がする」

と思ってもらえる人間になるのが今の目標だ。

以前は手っ取り早く外見で取り繕おうとしていたので、頭を坊主にして髭を生やしていた。そういう演出で何となく雰囲気のある人になろうとしていた。今思えば安い、浅い、恥ずかしい。

将来的にはクソ真面目そうに見える七三分けでも人が目を離せなくなる雰囲気(注・大川某のようものではない)を醸し出せるようになろうと思う。

知識を増やし、謙虚になり、口数を少なくすること。それがスタートだ。