ストロング・マインド

特攻隊の遺書にはこれから自分が死ぬにもかかわらず、親への感謝が綴られていた。

最後の挨拶ができないことへの不孝を詫びる言葉まである。

死は最大の恐怖だ。ある特定のクレイジーな人を除いては。

恐怖を前にして感謝とお詫びを語る。

僕には絶体に無理だ。

なぜ無理なのかといえば死が恐いからだ。

死は恐ろしい。

理解不能だ。

だから死に向かい合ってる限り死の恐怖は乗り越えられない。

でも死を乗り越えて誰かのために自らの命を投げ出す人はたくさんいる。

どういうことだ。

誰かのために死ねる人。

死を前にして感謝を語る人。

そうか。

他人のためなら死ねるのだ。

深い感謝の想いは死さえも乗り越えさせるのだ。

他者を思いやる心と感謝にはすさまじい力があるのではないか。

つまり人を思いやり、感謝の気持ちで生きるためには強い心が必要なのだ。

なよなよした精神ではとても人様の役には立てない。

心の底から、ありがとうとは言えない。

強い心。

これだ。

強くなれ

ありがとうって言える人は強い。

余裕がないと人には感謝できない。

辛い環境にあって人に感謝する気持ちを持つためには強い心が必要だ。

優しは弱さじゃない。

強くないと人を愛せない。

人を愛したときには自分を犠牲にする必要がでてくる。

譲らなければならない場が多くなる。

自分のあれこれを横に置き、心の中心に愛する人を置いてあげられる人は強い。

愛したいなら強くならないと。

強くなれ。

媚びるな。

笑い話にできない愚痴はこぼすな。

現実を見て、その上に立って夢を見ろ。

強くなれ。

 

 

言葉にしたら嘘になる

言葉にすると気持ちと離れたものになる。

でも言葉にしないと気持ちは曖昧なままだ。

ぴったりくる言葉を見つけたい。

言葉はすでにフィクションだと割り切ってしまえば、フィクションのなかに本音を見いだしていくという考え方もある。

言葉によって気持ちの方を変えるってやつだ。

愛してない人に、「愛してます」って言い続けたら愛せるようになるかもしれない。

なんか違うか。

本当の気持ちは感情にしかない。

感情は分析できない。

分析した途端、感情の温度は下がる。

言葉にするには分析するしかない。

だから言葉は口にした途端に本音とは温度差があるものにならざるを得ない。 

言葉の裏にしか本音はない。

 

出来ない奴は放っておく

出来ない奴にレベルを合わせているとこっちが被害を被る。

出来ない奴の面倒を僕がみる必要はない。

僕以外の人が助けてくれるはずだ。

だから僕は人を切り捨ててきた。

死に向かう限られた時間を出来ない奴のために無駄にしたくないからだ。

「そうやって人を切り捨ててる間はお前が成長しないよ」

二十年来の友人から言われた。

そいつは最近会うたびに、「自分だけじゃなく、周りを引っ張って行こうとしないと自分自身の成長がない」って僕に言い続けていた。

十年前の僕ならキレていた。

じゃあお前が面倒みてやれよ。俺にはそんな無駄な時間はないよ、って。

最近では友人の言葉がひっかかり始めていた。

先日やっと心からそうかもしれないと思えた。

ちょうど自分に限界を感じていた。

このまま根本的な“考え方”を変えずに進んでも伸びないのではないかと思い始めていた。

だから出来ない人を見捨てないことにしてみる。

自分だけで進まないことにしてみる。

みんなと歩調を合わせてみようと思う。

そしたらどんな結果になるか。

楽しみ。

抱負を決めた

今年の抱負は「口を慎む」だ。

悪口を言わない。

余計なことを喋らない。

無言に耐える。

これでいく。

人生が開ける気がする。

いよいよ人生が開ける。

躍進の年だ。

いける気がする。

間違いなくいける。

引き寄せだ。

不安はない。

いける。

開ける。

 

 

昭和で生きる

自分で散髪しはじめてから7年くらいになる。

ずっとソフトモヒカンっぽい坊主頭でやってきた。

40を過ぎたのに張り切った髪型だと思いはじめた。

普通でいい。

普通がいい。

半年ほど前から伸ばしはじめた。

天然パーマだ。

80年代のアイドルのような髪型になってきた。

とにかく見た目が古い。

丸いメガネを持っている。

とてもよく似合っている。

似合ってはいるが、お洒落ではない。

丸メガネをかけると噺家さんになる。

もしくは白黒写真に写る出征兵士だ。

天然パーマも似合っている。

丸いメガネも似合っている。

ほんとによく似合っている。

ただお洒落でもなければかっこよくもない。

似合い過ぎて、本気にみえる。

仕方ない。

このルックスで生きていくしかないのだから。

中年は中身で勝負だ。

昭和のルックスを課せられたのも因果応報。

世間さまが愛してやまない昭和という時代を体現できるこのルックスを存分に活かしながら生きるのが自分らしさというものだ。

大東亜戦争を戦い抜いた勇敢な日本軍兵士の精神と昭和アイドルの作り物だが商品としては完璧なサービス精神を持ち合わせた素敵な中年になればいい。

意思が弱く、死を恐れ、男前じゃない僕が、そんな中年になれるだろうか。

見たままの人になる

僕は愛嬌のある顔をしている。

子どもの頃の写真を見ると自画自賛してしまくらいにかわいい。

ただしそのかわいさからは男前になる気配はまったく読み取れないし、現段階でも男前ではないし、これまでも、「かっこいい」と言われたことは一度も無い。

愛嬌のある、優しそうな、怒りそうにない、いつでも笑っていそうな顔つきというだけだ。

もてるわけではない。

そして本当の僕は短気だ。

このギャップがめんどくさい。

ヤクザっぽい見た目の人がケンカっ早いのはバランスがとれている。

笑顔が似合うおっさんがケンカっ早いのはバランスが悪い。

「そんな愛想の良さそうな顔してるのに、誰もあなたのことを短気だと思うものかい」

妻が僕に言った。

愛嬌のある顔つきと人懐っこい性格から人にかわいがられる反面、からかわれたり、なめられたりもする。

僕はこの“からかわれる”のと“なめられる”のが苦痛だった。

もともと喜怒哀楽が激しい。

よく笑い、感動する。

反面、すぐ怒る。

両極端なのだ。

妻の一言で考えさせられた。

ルックスと似合う性格になった方がバランスが良いのではないか。

天与のルックスに逆らうよりも、ありがたく従う方が無駄のない人生になるのではないか。

怒ってみたとこで、顔つきや雰囲気が気の良いおっさんなので怖れられもしない。

坊主頭をやめて10年以上ぶりに髪の毛も伸ばしはじめた。

天然パーマでくりんくりんの髪の毛だ。

文豪のようになってきた。

もしくは寝食を忘れ、身なりを気にせず何かの研究に没頭している何者かのような雰囲気ともいえる。

何にしろ雰囲気が明治、大正、昭和なのだ。

こんなので怒ってもまったく怖くない。

だったら怒らない方がましだ。

だからなるべく怒らないようにしようと思う。

僕はニセモノの文豪。

僕はニセモノの学者。

僕はホンモノのアルバイト。

僕はほんとうに44歳。

怒ってもだれも相手にしてくれない。

だったら気持ちよく笑っていよう。