見たままの人になる

僕は愛嬌のある顔をしている。

子どもの頃の写真を見ると自画自賛してしまくらいにかわいい。

ただしそのかわいさからは男前になる気配はまったく読み取れないし、現段階でも男前ではないし、これまでも、「かっこいい」と言われたことは一度も無い。

愛嬌のある、優しそうな、怒りそうにない、いつでも笑っていそうな顔つきというだけだ。

もてるわけではない。

そして本当の僕は短気だ。

このギャップがめんどくさい。

ヤクザっぽい見た目の人がケンカっ早いのはバランスがとれている。

笑顔が似合うおっさんがケンカっ早いのはバランスが悪い。

「そんな愛想の良さそうな顔してるのに、誰もあなたのことを短気だと思うものかい」

妻が僕に言った。

愛嬌のある顔つきと人懐っこい性格から人にかわいがられる反面、からかわれたり、なめられたりもする。

僕はこの“からかわれる”のと“なめられる”のが苦痛だった。

もともと喜怒哀楽が激しい。

よく笑い、感動する。

反面、すぐ怒る。

両極端なのだ。

妻の一言で考えさせられた。

ルックスと似合う性格になった方がバランスが良いのではないか。

天与のルックスに逆らうよりも、ありがたく従う方が無駄のない人生になるのではないか。

怒ってみたとこで、顔つきや雰囲気が気の良いおっさんなので怖れられもしない。

坊主頭をやめて10年以上ぶりに髪の毛も伸ばしはじめた。

天然パーマでくりんくりんの髪の毛だ。

文豪のようになってきた。

もしくは寝食を忘れ、身なりを気にせず何かの研究に没頭している何者かのような雰囲気ともいえる。

何にしろ雰囲気が明治、大正、昭和なのだ。

こんなので怒ってもまったく怖くない。

だったら怒らない方がましだ。

だからなるべく怒らないようにしようと思う。

僕はニセモノの文豪。

僕はニセモノの学者。

僕はホンモノのアルバイト。

僕はほんとうに44歳。

怒ってもだれも相手にしてくれない。

だったら気持ちよく笑っていよう。

自分のお金で遊んでなんぼ

僕はけっこうおごってもらう。

おかげで自分の稼ぎだけでは絶対に食べられない食事や、飲めないお酒を楽しませてもらってきた。

最初は嬉しかった。

銀座、六本木、祇園などの華やかな街で遊べることが。

最近、楽しくない。

誘われる回数も年齢を重ねるごとに減ってはいるのだが、誘われた際も昔のように、「やった、ラッキー」って気持ちになれない。

人のおごりだから食事も酒も遠慮しながらでないと楽しめないのが面倒くさくなりはじめたのだ。

気をつかって中途半端に食べて飲んで満足できずに帰宅する。

結局のところ、家に帰って冷や奴でトリスのハイボールを飲む。 

だったら最初から家で好きな音楽を聞きながらトリスハイボールを飲んでた方が気が楽だ。

金持ちにについて回る金魚のフンである惨めさを認めたくない。

だから面倒くさくなる。

ほんとは惨めなんだ。

自分のお金で遊んで、食べて、飲むから楽しめるってこと。

他人のお金で同じことをしても身にはならない。

 なんとなく、そんなことがわかってきた。

やめられないだけ

若い頃は焦っていた。

若いうちに勝負しないと、勝たないと、人生に負けると思っていたから。

今の僕を若い頃の僕が見たら、「またひとり負け犬発見」と思うだろう。

でも、若い頃の僕に言ってやる。

「一般的な相場で判断したら負けてるかもしれないけど、俺は俺らしい生き方を貫いてきた。その結果が今だぜ」と。

「で、おっさん、何を形にしたの。人にあんたの生き方を見せられるもの、証明できるものはあるの?」

若い頃の僕だったら問う。

いいか若造、覚えとけ。

あきらめない限り終わりじゃない。

未だに過激な左翼活動家が検挙されている。

彼らは30年以上にわたり逃げ隠れして暮らし、革命を諦めず意志を貫いているのだ。

僕は左翼の思想にはまったく共感しない。

でも彼らの意志の強さは尊敬する。

あきらめられたら楽だ。

でも、あきらめたら終わりだ。

終わらせたいならあきらめたらいい。

しんどいなら終わらせたらいい。

終わらせる大義名分を見つけてホッとしていた人たちを僕は多く見た。 

自分の力では止められない人たちもたくさんいる。

僕はあきらめられていない。

あきらめるための大義名分もあったけど、そこに乗っかれなかった。

あきらめられないから、あきらめられない。

ただそれだけでここにいる。

若い頃にビートルズストーンズ、そこからブルースを聴いてから引き返せない。

貫頭衣でも着てやがれ

普段は自転車で通うバイトへの行き帰りの道を2時間あまり歩いた。

歩くスピードは新鮮な景色を見せてくれる。

気づかなかったお店、道。

店頭に貼られたポスター。

郵便ポスト。

並んで歩く老夫婦。

子どもの手を引くお母さん。

野外で遊ぶ幼稚園児。

道ばたに咲いた花。

見えなかったものが見えてくる。

歩く速度で生きていたい。

そう思った。

なんて言う奴はいつでもどこでもどんなときも絶対に歩いてろよ。

隣町の会社まで毎日歩いて出社しろ。

東京から博多へ歩いて帰省しろ。

大切な人が事故にあって病院に運ばれたという連絡が入っても歩いてかけつけろ。歩いたら駈けつけてはないけどな。

歩く速度がいいときもある。

新幹線がいいときもある。

自然派をきどるんじゃねえ。

縄文人は最高の自然派だ。

狩猟採集生活で自然を操作しない。

貧富の差も、争いもない。

てめえにそんな縄文人たちが愛用していた貫頭衣を着て街を歩く勇気があるのか。

貫頭衣を着て渋谷でのコンパに参加するだけの思想はあるのか。

言っとくけど俺はほんとに貫頭衣を着て普通に街を歩きたいけど、妻から止められているだけだからな。

妻に逆らったら生きていけないからな。

縄文人をなめるなよ。

でも女性のミニのワンピースって、あれ、おもいきり貫頭衣だな。

じゃあワンピース着ればいいのか、俺も。

そんなことしたら離婚になるな。

そうなると死ぬまで貫頭衣は着られないままか。

俺も根性がない。

開き直ってやる

バイト先では絶対に愚痴らない。

と決めて今のところ愚痴はこぼしてない。

まだ10日くらいしか経っていないけど。

愚痴るチャンスはたくさんある。

愚痴りたくなる。

でも愚痴ったら自分がしんどくなるだけだ。

愚痴ればその場所が嫌になる。

そこに居られなくなってしまうのがオチだ。

居場所を失い逃げた先にはそれほどいいことがないとわかった。

だから今回は逃げない。

44歳のおっさんが、「逃げないと決めた」と宣言している。

気づくのが遅い。

かっこ悪い。

仕方ない。

かっこ悪くていいじゃないか

開き直ってやる。

もう44歳だ。

開き直らなきゃ何もはじめられない。

積み上げてきたものがないならないで、積み上げてきたものがないってことを積み上げてきたことにして生きる道を探してやる。

積み上げてきたものがありませんって誰がそんな奴を信用してくれるっていうのか。

だから自分の力で生きていくしかない。

開き直ったおっさんってめんどくさそうだ。

めんどくさいおっさんにはなりたくない。

そこはうまくバランスを保っておきたい。

若い奴らを相手にして

「俺たちの頃はなあ」

とか

「今の若い奴らは」

とか

その手の枕詞は絶対に使わないこと。

そして自分がやっていることをいちいち若い人に理解してもらおうと思わないこと。

このふたつを徹底すればそれほどうっとうしいおっさんにならずにすむのではないか。

開き直って影でコソコソやってやる。

おっさんはでしゃばるな。

黙ってバイトしてろ。

でも精神的に死ぬな。

常に現役でいろ。

社会的な相場を見失わないようにしながらも、社会の相場だけで自分を評価するな。

自分の価値は自分で決めろ。

オス!

ちぇすと!

噂話好きは差別好き

「ググッてみて」が口癖のおばさん。

ネット情報でいろんな裏話をひっぱってきてはそれを語る。

政治、外交、芸能、皇室、医療、福祉etc.

あらゆるジャンルの事情通だ。

「ネットではやばいキーワードのものは削除される。監視されている」とも語るおばさん。

だったらなぜ裏話がネットに流出するのか。

矛盾に気づかない。

噂話好きの考えるところはこの程度だ。

あんたみたいなおばさんが知っていることはシークレットでもなんでもない。

この程度ならいいのだが、このおばさん、とても差別好き。

ステレオタイプで人をみる。

「○○な仕事をしているのは○○な人」

「○○ってあたりに住んでいる人たちは○○

 な人たち」

「○○を信仰している人には○○な人が多い」

偏見、偏見、偏見。

人と少しでも真剣に接してきたなら人はそんなに簡単なものじゃないとわかりそうなものだが。

暇で気楽なおばさんだな。

最近はこの手のおばさんの話をスルーする術を身につけはじめたのでだいぶ気にならなくなってきた。

気にならなくなってきたぶん、客観的に話を聞けるからおばさんがしゃべっている内容の危なさがよくわかるようになった。

人を傷つける内容が多い。

これはまずい。

まずいけど関わりたくない。

だから放っておく。

いろいろ聞いてみると過去にも口が災いしての失敗は多々あったらしいが本人が反省していないのだから仕方ない。

もう一度痛い目をどこかでみていただくしかないだろう。

できるならなるべくはやく痛い目をみてほしい。

そして少し静かになってもらいたい。

そうしたら落ち着いて仕事ができるので。

情けないけど、仕方ない

自分で決めるという能動的な態度が僕の人生には欠けていた。

誰かの意見を聞いては納得したつもりになりアドバイス通りに動いてみて途中で飽きる。

アドバイス通りにやってみたところでうまくいかないから嫌になる。

「突っ込まれやすい性格」とみんなから言われ続けてきた。

突っ込まれるのを自分で望んでいたからだ。

まずは僕が極論を言う。

周りが突っ込む。

反省(したふり)を繰り返す。

こんな型が日常会話で完成していた。

僕はみんなを笑わせようとして大袈裟な話をしていたつもりだった。

でもなかには僕のネタに本気で突っ込みを入れる奴がいる。

僕に対する若干の説教がはじまる。

僕はそれもまたネタだとして小さくなり反省したふりをする。

そうやって僕はアドバイスや説教を受けるキャラになっていった。

型とは恐ろしい。

それが僕の人生を作りはじめる。

アドバイスや説教を上っ面だけだが受け入れ行動するようになっていった。

そして今だ。

44歳。アルバイト。

僕の友人が1ケ月もかからず稼ぐ金額が僕の年収だ。

僕に説教やアドバイスをしてきた奴らは誰も僕を助けてはくれない。

そもそも、「誰も助けてはくれない」という考え方が説教の対象だ。

仕方ない。

自業自得、自己責任。

これから先をがんばる。

だったらこれまでの何を改めるのか。

自分で決める。

自分で行う。

その責任は自分で負う。

これだ。

44歳のおっさんの決意としては段違いにズレている。

ごめん、これが僕の現状だ。

まず人として立つ。

そこからはじめないとはじまらない。

ごめん、情けない。

仕方ない。