長所が死んだ

人とうまく付き合うにはどうすればいいのか。

社会にうまくなじむにはどうしたらいいのか。

納得できる生き方をするにはどうしたらいいのか。

そんなことばかり考え続けてきた44歳だ。

もう遅い。

逆転はない。

あきらめるしかない。

わかっている。

だからどのようにあきらめをつけるかに関心が移りつつある。

先日、予定なしにライブハウスに立ち寄った。

若い子のバンドばかり。

演奏はうまい。

聞いていて気持ちいい。

僕は素直に歓声をあげた。

でも何かしっくりこない。

周りから浮いている。

周りを気にせずライブを観に行ったときには踊って歓声を上げてきた。

若いころからずっとそう。

周りの反応は気にしない。

気持ちが高ぶればそれを素直に表現した。

出演者からは喜ばれた。

今はそれができない。

一見のおっさんがはしゃぐ姿を周囲の若者はどう見るのだろうか。

そのことが気になり、感情を表現できない。

もうだめだ。

こうなったらおしまい。

僕の長所が死んだ。

マイ長所・イズ・デッド

翌日は爆音のおかけで耳鳴りがする。

考えた。

僕の長所が死んだ。

一番の長所が。

死んだら終わりか。

もう終わりか。

なぜ死ぬのか。

死んだらもう次はないのか。

いやいやいや。

生まれ変わるための死もある。

というか、生まれかわるためにこそ死はある。

死なないと生まれ変われない。

だったらラッキー。

生まれ変われたのだ。

親鸞聖人は死んでからではなく、生きている今この場で阿弥陀様に救われることが決まると教えられた。

他力の信心を得ることによって救いは今この瞬間に約束される。

さように生きて生まれ変わることは可能なのだ。

僕の長所は死んだ。

僕は死んだ。

だから生まれ変わった。

だったらどう生まれ変わるか。

死んだ長所の対極にあるものをみたらいい。

着実に積み上げる。

粛々とやる。

出しゃばらない。

静かに耐える。

余計な我は殺す。

わきまえる。

生まれ変わるならこの方向だ。

これらは人とうまくやれる人間になるという今の僕の目標とも合致する。

心の変化がすべてそこに向かってきている。

 引っ込んでろ中年おやじ。

はーい。

負け犬、バンザイ。

方向性に間違いはない。