目立たない、でも、役に立つ

他人を批判したくなってもグッとこらえる努力をしている。

すると自分の内面に意識が向く。

 

言ってることと本音が違う。

自分以外の人をバカにしている。

自分のことしか考えていない。

指示した通りに仕事をしない。

やってますアピールが激しい。

ミスしても謝らない。

気が利かない。

がさつ。

ケチ。

暗い。

最近僕が他人を批判するために使った言葉たち。

落ち着いてみると人を批判したポイントは自分も持っているものだと気づく。

悪口を言ったあとの嫌悪感がひどい。

悪口は人に向けられた言葉のはずだが、ほんとは自分に向けられたものであることをわかっているのだろう。

人のことを悪く言うことで自分はその悪い部分を持っていないとアピールする。

そのアピールは逆効果だとは気づけない。

 

話す内容、使う言葉、ファッション、立ち居振る舞いetc

自分が演出する自分は、他人に見せたい自分だ。

過剰な関西弁。威圧的な言動。過度な丁寧さ。若づくりなファッション。場にそぐわないお洒落。髭。

相手に持たせたい自分のイメージが赤裸々過ぎて恥ずかしくなる。

裸で歩いているようなものだ。

それが僕だ。

なめられたくないという演出をするからなめられる。

僕は有能だという演出をするから無能だと見抜かれる。

内面が充実していけば外面へのこだわりは弱くなっていくはずだ。

だから僕はまず外面へのこだわりを意図的に無くしていった。

髪を伸ばし六四分けにして、髭を剃り、日常の作業着はTシャツにジーパンで固定した。

普通より普通っぽい中年おやじになろうとしている。

おかげで外面へのこだわりは大分なくなった。

外面にこだわらなくなるのと比例して内面へ意識が向く時間も長くなっている。

形から入るのも間違いではない。

他人にどう見られているかを気にしなくなれば、他人の言動ももっと気にならなくなるはず。

僕自身が目立たなくなり、癖がなくなっていくにつれ僕の行為は世の中の役に立っていく。

そんな人になりたい。

南無阿弥陀仏 ( ̄人 ̄)