やっと自分に追いついた
この1ヶ月で急激に白髪が増えてきた、
僕は44歳だ。白髪の多い同級生は普通にいる。
僕には目に入る白髪は一本しかなかった。それがここにきて増えている。
老眼も進んだ。文庫の小説が読みづらい。拡大鏡をメガネの上からかざすとちょうとよい。しかしそれでも疲れるので長時間の集中は難しい。
老いは深刻な問題だ。老いの先には死がある。髪の毛を染めたり、化粧や服装を変えてみたり、整形したりして、老いた自分を意識しないでおこうとする。
僕は中学生くらいから老け顔だった。雰囲気がおっさんだった。
ツムジの流れに沿った髪型をすると天然パーマの髪質と相まって六四分けのおっさんヘアーになる。そこに老け顔がマッチする。
僕は髪型を変えることで自分がかっこよくなれるという意識を持ったことが人生で一度もない。今は自分で髪を切る。少々おかしくなってもボウズにしてしまえばいいと思っているから失敗も怖くない。
それもこれも老け顔、天然パーマのおかげだ。
白髪が増え、肌のハリもなくなってきた今が僕という素材を活かすには最高の時間なのだと思う。
外見と年齢がマッチしてきたわけだ。
今思えば僕は若い頃から早く中年になりたかったのではいか。
幼い頃から憧れて続けている親鸞聖人、法然聖人は中年もしくは初老の人のイメージだった。
僕は幼い頃から中年、初老の人に憧れてきたわけだ。
憧れていた中年。
ここに来て一致する外見と年齢。
僕は僕の人生の中でもっともバランスの良いときを迎えているのかもしれない。
服装なんて大して気にならない。
髪型も寝ぐせがなけりゃいいってくらいのこだわりしかない。
外ヅラなんてどうでもよくなってくる。
数珠を片手に念仏を称える数をかぞえながら街を歩きたい。
僕の心が平安であるためなら他人の目からどう見られようが構わない。
だから数珠を買いに行こうと考えている。
浄土真宗の数珠は地味でカッコ悪いから、浄土宗の数珠にしようかなと思っている。余談だ。
そんなのだけど、出るとこに出たらビシッときめる。
立ち居振る舞いは飾り気のない自然さと優雅さを備えており、釈尊の説法のように穏やかながら重みのある口調で話す。
釈尊の説法は聞いたことがないので勝手なイメージだが。まあそんなふうな中年になりたい。
地位もお金もないから。自分だけが商品だ。
憧れていた中年、外見と中身が一致した中年。
中年になれた今、僕の才能を開花させる時がついにきた。
ナチュラルーボーン・中年
ホーン・トゥ・ビー・中年
ボーン・イン・ザ・CNN(chunen)
地味に目立たず、くそほどクレイジーに生きてやる。