誠意があるならよし

〜気持ちの変化 メモとして05〜

苦手な人は苦手でいい。嫌いな人は嫌いでいい。

苦手意識をなくそうとしたり、できることなら好きになろうとするから苦しくなる。

無駄な努力とは言わないまでも、好きになりたいって気持ちが本音ではない限り疲れる。すると益々苦手になり、結果としてもっと嫌いになる。

「あぁ、僕ってほんとにこの人が苦手なんだなぁ」

「あぁ、僕は間違いなくこの人が大嫌いだ」

自分の本音を心で言葉にして味わえばいい。そこにあれこれ善悪の判断を加えない。自分の気持ちに抵抗せず受け入れて味わう。

ありのままを受け入れることの大切さ。

苦手は苦手。嫌いは嫌い。怖いは怖い。好きは好き。そのままに受け入れる。

その気持ちを、またはその気持ちを抱かせる相手をどうにかしようとするから疲れる。

まずは受け入れてしまう。

「あいつ、ぶっ殺してやる」と思ったなら、その気持ちに罪悪感を抱いたり、否定したりせずに受け入れる。「僕はあいつをぶっ殺したいと思うくらい憎んでいるんだな」と気づきのひとつにする。

そうしてみると、とことんまで相手を恨むことなんて、そうそうできるもんじゃないってことがわかってくる。

ぶっ殺してやると思っても実際にぶっ殺しはしないし、ぶっ殺してやるって気持ちになんて実はなかなかなれない。

冷静になって考えたら、「僕の見えないところに行って欲しい」くらいの気持ちでしかない場合がほとんどだ。

抵抗するから争いがはじまる。他人に対してもそう。そして何より自分の気持ちに対してもそう。

やっぱり僕は短気だ。身勝手だ。悪人だ。凡人だ。煩悩まみれだ。とても自分の力で菩薩になんてなれないな。

そう思ってたらいい。

菩薩になんてなれるわけないだろ。

東大、京大に行ける脳みそを持たないのに、東大、京大に行きたいと思うところに苦しみが生まれる。

東大、京大には行けないだろうな。でも、そこを目指して勉強するのは無駄じゃないよな。だから自分なりに勉強は続けよう。くらいの気持ちで物事にあたるのがいい。

諦めるわけじゃない。執着しない。

執着しないためにはありのままの自分を認めることと、自分を変えていく、成長させていく過程そのものを楽しむこと。

ありのままの自分を認めず、結果のみを重視するところに執着が生まれる。

今、ここ、だ。

今、ここで、できることを手抜きせずにやっているかどうか、だ。

今、ここで、できることに対して誠意を持って取り組んでいるなら、それでよし。自分を褒めてやれ。

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南無阿弥陀仏 ( ̄人 ̄)