わからなくていい

〜気持ちの変化 メモとして04〜

ほんとにかわりはじめた。視点が変わってきた。

他人と自分はまったく違う生き物だということ。

通りすがりのおっさんの気持ちなんてわかるはずがないということ。

他人と全てをわかり合うなんて不可能だ。少しのことをわかり合うことだって難しいのに。

誰彼かまわず感情的になって僕はどうしたかったのか。

かまって欲しかった。わかって欲しかった。

40過ぎたおっさんがこんなこと言うのは辛い。恥ずかしい。

恥ずかしいけど、それが現実だ。そしてそれをまだ完全に乗り越えたわけではない。

何度でも確認する。

他人の気持ちのほんとのところなんてどんだけ努力してもわからない。

だから道を塞いでフラフラ歩いているおっさんや、でかい声で話す電車で隣に座ったおばさんや、スマホをいじりながら歩いたり自転車乗ってる若者や、危ない運転をするドライバーや、無愛想な店員など、その瞬間にしか関わらない人たちの気持ちなんてわかるはずがない。わからなくていい。わかろうと思うな。理解しようと思うな。

何度でも言う。

わからなくていいの、そんなことは!

そいつらに怒ることは少しでもそいつらと接点を持とうとしてることになる。どんな形であっても人と繋がりたいんだ。

じゃあ、怒ることで接点を持てたとしたら、責任を持って最後までそいつらと向き合うのか?

それはない。どこかで逃げたくなる。しかもけっこう早い段階で。

だったらやめておけ。無責任じゃないか。

繋がるというと聞こえがいいが、かまって欲しい、わかって欲しい、認めて欲しいだけだ。

人を理解したいという気持ちは悪くないのかもしれない。でも人を理解できるという思い上がった考えは持たない方がいい。

そんなに不特定多数の人と繋がらなくてもいいじゃないか。大人数と向き合ってたらしんどいだけだろ。少し考えればわかることだ。

道ですれ違う程度の人の気持ちなんて理解しなくていい。する必要がない。したからといって何も生まれない。しなくていい。とにかくしなくていい。

だいぶわかってきた。ありがたい。楽になってきた。

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南無阿弥陀仏 ( ̄人 ̄)