ここにいます。譲りません

他人と自分との距離が曖昧だ。

自分の感情を他人の言動によって揺らされてしまう。自分の感情を相手に重ねてしまう。

これがけっこう疲れる。喜怒哀楽が激しくなってしまうから。

人との距離をうまく取れないまま寝たきり老人になってしまったら、しもの世話をしてもらうことに対してプライドが許さず、介護してくれる人に当たり散らす、かなりタチの悪い老人になってしまう気がして怖い。

そんな恐怖も相まって、もう人の感情や言動に左右されやすい自分の性格にもうんざりしてきた。我慢も限界が近い。

なんとなくわかってきたことがひとつ。苦手な人、場所、状況から逃げずに、そこにいること。そこにいて、そこにある悩みをしっかり見つめること。誰にも頼らず、ひとりで。逃げずに苦しみを味わうことでしか揺れない気持ちは作れない。

逃げずにそこにいるというのは自分の居場所と気持ちを守りぬくということ。

別の場所でなんとかしたらいい。居場所はここじゃなかっただけだ。次の場所でうまくやれたらいい。そう考えて逃げてきた。そうやってほんとはいたかった場所にいられなくなるってことを続けてきた。

守るって楽じゃない。守りの中には責めの姿勢がある。守るためには敵を追い払う的確な攻撃力が必要だ。

僕は今与えられた場所を守り抜く。くだらない理由で放棄しない。贅沢をいえば守りつつ責めてもっと居場所を大きくしてやりたい。

嫌なことを、苦しいことに出くわしたときの自分の気持ちを味わう。どんなときに臆病になるのか、調子にのるのか、逃げようとするのか、諦めようとするのか等々、味わって自省して心の成長に繋げてやる。

そこにいる。目をそらさず、争わず、場所をあけ渡さないためにそこにいる。

譲るというと聞こえはいいが、逃げてきただけだ。逃げた自分の強さを誰かにわかって欲しかった。残念ながら逃げたら負け。僕が弱いから逃げたってゆうのはみんなわかっていた。わからなかったのは僕だけだ。

僕はここにいる。この場所は譲らない。

他人と自分との距離を保つためにも大切なことだ。

南無阿弥陀仏 ( ̄人 ̄)