精神的出家する

最近髪の毛を七三分けにしている。おしゃれな七三ではない。自分で髪を切っているからデザインカットなんで無理だ。坊主に少し手を加えただけのヘアスタイルが伸びたものを文字通り7対3に分けている。それだけのかま

妻からは、おっさんくさいと言われる。

おっさんくさいと聞くと、ほんとはおっさんって歳じゃないのにおっさんぽく見えるから年相応にした方がいいよという意味が含まれているように感じるが、残念ながら僕はおっさんだ。七三分けにすることで年齢相応に見えるようになっただけだ。

最近どんどん外見に対するこだわりがなくなっている。そこに費やすエネルギーが惜しくなってきた。

かっこよくありたいという思いはあるし、老いを感じるのは楽しいものではないから若く見えるように努力するのも無意味ではないと思う。

でも本当のかっこよさは外見を補うことで得られるものじゃない。

心と身体のバランスが取れている姿こそかっこいいのだ。最近そう思う。

年齢相応、中身相応、身分相応。それでいい。

実力以上に見せることで、実力以上のものを得たとしても、その差額はいつかどこかで支払わさせられる。カッコつけてもカッコ悪い。何事も不相応なことをすると歪む。

自分の心を見つめず、外見を取り繕って生きるのは楽だ。現実逃避だから。

心と身体を一致させて生きることこそ難しい。年齢を重ねて心が円熟していくなら、外見も相応に円熟していくのが普通の姿だろう。

若さにしがみつき、外見にこだわり続けるのは未熟さの現れだ。

僕は少し前まで軽いモヒカンにして髭を生やしていた。今思えば恥ずかしい。そんな程度でアピールできる個性なんてびっくりするほど安いものだというのがわかっていなかった。

外見で人目を引こうとする行為は自分の安っぽさをアピールしているに過ぎないと気づけなかった。安い生き方をしているやつは、考え方も浅いわけだ。

わかる人には僕の安っぽさはバレていたと思う。

精神的に出家することにした。日常生活を続けながら出家の生き方を追求していく。

具体的には

・社交の場以外ではお酒を飲まない。

・食の量を減らす。

・テレビは必要以上に見ない。

スマートフォンを必要以上に触らない。

・インターネットに必要以上に頼らない。

・学び続ける。

こんなふうに社会生活を送りながらでも出家的な生き方をするのは可能だ。

僕は精神的に仏門に入る。出家万歳。

なーもあーみだーぶ なーもあーみだーぶ

 ( ̄人 ̄)