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南無阿弥陀仏。今日は京都では五山送り火の日ですね。Rin-nengです。

お盆にはあの世からたくさんの方々がこの世に返ってくる。お盆が終わりその方々があの世に帰るための道案内が五山送り火だ。

死後の世界、あの世はあると僕は確信している。それがどのような世界なのかはわからない。ただ今この意識のままで行く世界なら僕の理解を極端に超えた世界ではないだろうと思う。

死んだあと極楽に行き、阿弥陀仏の御指導のもと悟りを開き、またこちらの世に還ってきて悩み苦しむ人を救うという還相回向の教え。

僕はこの教えに勇気づけられている。

短気で、忍耐力も責任感もなく、苦しいことが大嫌いで、他人に依存して生きている僕みたいな自己中心的な人間でも、死んで阿弥陀仏のもとで修行をすれば、またこの世に生まれ変わり人の利益のために生きられる人間になれるという教え。

自分の利益のために悩むとき悩みは尽きない。悩めば悩むほど解決策が見えなくなる。悩みにとらわれ縛り付けられる。不自由になる。身動きがとれない。沈んでいく。

反対に他人の利益のために悩むとき心身ともに軽い。動きも早い。力がわく。

他人の利益のために悩み動くときには清々しさが伴うことは、身勝手でわがままな僕でさえ経験したことがあるから知っている。

知ってはいても煩悩が邪魔をして自分の利益を考え、そのために行動する時間の方が圧倒的に長い。

菩薩となれば、遊ぶくらいの感覚で人救いができるようになるという。人に利益を与えることを楽しめる。人の幸せこそ自分の幸せだと思える人間になれる。

そんな自分になれたところを僕の煩悩まみれの脳みそで想像しただけでも身軽で、暖かな気持ちになる。

極楽にいる諸仏たちは薄着で空を飛び、雲に乗る。利他の願い、祈りにあふれた仏たちは常に暖かく、軽いのだろう。

対する僕は、ガチガチに着込んで手放さず、他人に奪われないように地を這って生きているというイメージを自分に持つ。

仏、菩薩方々とはまったく逆だ。

近づきたい。仏や菩薩に。だけど自分の力だけではとても無理だ。

だから阿弥陀仏にすがる。阿弥陀仏に救われる身であることを喜び、悪を懺悔する。

阿弥陀仏に救われる身を喜ぶことでほんの少しではあっても心は暖かく軽くなる。今でさえこれだ。還相回向でこちらに還ってきたときには、どれだけの暖かさと軽さで人と接することができるようになっているだろうか。

五山送り火であちらに戻られるみなさま。菩薩になられて、またこちらに還ってきてください。

菩薩となられた方々でこの世があふれるなら、間違いなく平和な世の中になる。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

さあ、みんなで菩薩になろう。

アイ・ウィル・ビー・Bodhisattva 

ユー・ウィル・ビー・Bodhisattva

ウィ・ウィル・ビー・Bodhisattva

ゼイ・ウィル・ビー・Bodhisattva

今日から僕は“Everybody will be Bodhisattva”運動を展開する。EWBB構想始動だ。