最優先事項 後生の一大事

批判することに対しての批判を、「お前も批判してるじゃないか。同じ穴のムジナだ」という意見でもって封じ込めようとするのは言論弾圧だ。

批判している内容が間違っているのなら、その批判に対する批判は必要だ。

今井絵理子が、「批判なき選挙。批判なき政治」という発言をツイッター上でした。何をしても批判されないのであればやりたい放題だ。強いものが勝つ。

「批判ではなく対案を出せ」という意見を時々みる。確かに一理ありそうだ。しかしバカをいうな。僕は政治家ではないので政治に関しての対案は出せない。当たり前じゃないか。

僕は料理人ではないので料理のプロに味の文句は言いません。

僕は小説家ではないので文学作品の好き嫌いを言いません。

僕はミュージシャンではないので、曲を自分で作れない限りどんなにかっこ悪いと思った曲でも敬意をはらって聴きます、ってなんかおかしいだろ。

料理、小説、音楽なんかは自分がそれらに触れる環境を選ばなければよいだけだが、政治は無視してすむ話ではない。日本国民全員の生活に直結しているのだから。

対案を出せないなら文句言うなは、「素人は黙っておけ」という態度だ。こうなると野球の観戦なんてすごく静かなものになるだろうね。そんなのバカバカしい。まったく面白くない。野球観戦と政治は違うとかいうな、バカ。例としてあげてるだけだ。

意味のある批判に対しては耳を傾け、そこについて考えることは反省につながり成長につながる。

くだらない悪口を批判だと勘違いしてしまってるやつらは無視だ。悪口をやめさせる必要はない。そっとしておいてあげよう。その人たちの生き甲斐を、生きる場所を奪ってはいけない。

意味のある批判と、批判のための批判を判断するのは個人のセンスによる。

センスの合わない人を排除してしまったら、それはセンスのない人の行動になってしまう。

だからセンスの合うもの同士でやりあえばいい。 いろんな意見があって、いろんな議論がある。多種多様で豊かじゃないか。単純化してしまったら人類は滅びる。

ちなみに僕は念仏一筋、後生の一大事について思うばかりだ。これもまた生き方のセンスだからね。センスのあう人はどんどん意味のある批判をしてください。