えらそうだけど願わせてね

思ってることと反対のことを口にする職場のおばさんを冷静に観察してみた。

おばさんが僕のことを苦手なのはよくわかる。僕のことをやたらと褒めるからだ。もうひとり、おばさんよりも職場では先輩の女性がいる。この女性のこともよく褒める。だからこの女性のことも苦手なのだとわかる。

おばさんより後輩の女性がいる。彼女と仕事をはじめるとおばさんはずぅっと喋り続けている。大声で笑い、仕事の手を止めて喋り続けているのだが、僕やもうひとりの女性に対するような褒め方はしない。だからこの後輩のことは好きなんだとわかる。

「そんな気を使わないでください」が「もっと気を使え」という意味であり、「〇〇さんのおかげで仕事がやりやすいです」が「〇〇、お前目障りだ」という意味であり、「〇〇さん、ずっとこの職場にいてくださいね」が「〇〇、早くやめてくれ」という意味であるおばさん。

落ち着いて考えてみると、かわいそうなおばさんだ。

いつも心と反対の思いを口にして、腹の中は嫉妬にまみれている。

嘘だらけの自分の心と向き合う勇気がないおばさんはしゃべり続ける。嫌いな人のことを「好き」と言葉にすることで自分はほんとにそう思っているのだと自分自身に言い聞かせるように。

でも自分には嘘はつけない。激しくなる苛立ちと嫉妬は嘘の言葉で誤魔化せるものではなく膨らんでいく。ますます心にない言葉を発し続けなくてはならなくなる。そして嫉妬がより深くなる。

おばさんが考え方を改めてくれたら嬉しい。でもそれを押し付ける気はない。自分で苦しんで、自分で気づかない限り人は変われない。もしかしたらおばさんは苦しくないのかもしれない。そうなら変わる必要はない。それに本当に僕のことを認めてくれているから褒めてくれているのかもしれない。

それはわからないけど主観的にはおばさんの言葉は心にないことだと思っている。

心にないことを口にするのはかっこ悪いし、心にないことを言われた方はいい感じがしないことは体験できた。

だったら僕は人に心からの気持ちで接しよう。好きも嫌いも心からの素直な気持ちでいよう。

嫌いな人に嫌いって言うって意味じゃない。嫌いな人は避けたらいい。わざわざ争う必要はない。

人の長所に素直に反応できる人間になりたい。

それは人の仏性に手を合わせられる人間になるという意味もある。

人は誰もが仏になれる。人は誰もが阿弥陀仏の救いにより極楽に行き、そこで悟り、またこの世に還ってきて悩む人たちを救うことができるという、ひとりひとりが持つ尊い仏性に、仏との縁に手を合わせる人になる。

心にないことばかり口にする嫉妬まみれのおばさんも自身の仏性に気づいて、嘘をつかない生き方をされますようにと願い手を合わせよう。

えらそうだけど、そう考えないとおばさんに対する気持ちを安定させられないのでご勘弁を。