明日は8月6日
明日は8月6日だ。
昭和20年8月6日午前8時15分。広島に人類史上初の原子爆弾が投下された。
そのときのキノコ雲を写した有名な映像がある。あのキノコ雲の下で一瞬にしてどれだけの人生が奪われたか。またその後もどれだけの人々を苦しめ続けてきたか、続けているか。
恋も仕事も家庭も。多くの個人の可能性が一発の爆弾によって簡単に奪われた。
戦争は悪だと万人が認めるはずだ。
なのに戦争はなくならない。
人がどれだけ悲惨な死に方をして、それにまつわる苦しみが増えたとしても、戦争をする方がましだと認める価値観が存在しているから戦争は無くならない。
一部の権力者や金持ちのために戦争は行われているのだ。確かにそうだ。でも、でもだ。凡人中の凡人である僕のような人間にも戦争がなくならない責任はある。
戦争がおこる原因を僕たちは身近なものに引き寄せて考えているだろうか。心の中で人を恨み、あいつさえいなければと思う僕が人を殺してもいい権利を得たとして、尚且つ、殺すことで賞賛を浴びる状態になったとしても、絶対に殺さないと言い切れるだろうか。
僕の住んでる町の人たちすべてが僕に会うたびに、「あいつを殺すのはいつですか? その日が来るのが待ち遠しいのです」とすすめてくる。最後には、「はやく殺せ。さもないとお前をぶち殺すぞ」と集団で脅してきたら。
政治家を批判してもいい。ただし自分のなかの悪も同時に自覚しなくてはならない。それができないのに人だけを責めるのはずるい。善人ぶるな。
原爆で殺される側、殺す側、どちらにも簡単に転んでしまうのが人間だ。
明日の8時15分には黙祷を捧げる。世界人類すべての人々が悪人であり、また仏性も備える尊い存在であることに気づくことで多くの人が阿弥陀仏の本願を知り、往生し悟りを開き、菩薩となり、この世、あの世で苦しむたくさんの人たちを救えますようにと祈る。
みんなが幸せになりますように。
お互いがお互いを拝みあえる世界になりますように。