空腹が飲酒に誘っていた

1人で飲む酒を断つための無理のない考え方がみつかった。

一日一食を決意したのが食に対する1回目の転機だった。記憶力を向上させたいからはじめた。それまでは一日二食だった。やってみると体が軽い、集中力が増す、穏やかになる(これらはすべて自分比)などの効果を実感した。

一日一食の経験が深まると、もっと心身ともに快適になりたいという願望が生まれる。そこで3日間の固形物抜きを試みた。フルーツや水分、糖分は塩分は遠慮なく摂取しながらの3日間だ。この経験により食べる量はこれまで思っていた量よりかなり少なくても生命維持に支障はきたさないどころか、量を食べない方が心身ともに楽になることを確信した。これが2回目の転機だ。

そして一昨日の晩から1人飲みを断つことにした。しかしこの決意は精神論であり、飲まないと決めたら飲まないぞという類のものだからいつ諦めてもおかしくない。

1人飲酒をしないことを自分にしっかり納得させる考え方はないかと一昨日の晩から無意識に考え続けていたのだろう。昨日の日中に自転車に乗っているとき考えがまとまった。

僕がお酒を欲するときは空腹時だ。休日でも昼からは飲まないので、晩御飯の空腹時に飲みたい欲求に襲われる。僕の思考回路はいつのまにか、空きっ腹にアルコールを染み渡らせる喜びを感じるために夜の空腹感が存在するいうものになっていた。これはどう考えてもおかしい。一日一食で精神集中とか言ってる場合ではない。依存症の考え方だ。

ちなみに先にご飯を胃に入れてしまえばお酒を特別に飲みたくはなくなる。

「酒を飲みたい!」という欲求の正体は空腹感であり、健康的に空腹を満たすことでお酒を飲まなくてもよくなるといことがわかったわけだ。

こんな簡単なことになぜ気づかなかったのか?  お酒にとらわらていたからだ。習慣によって、お酒は毎日酔っ払うまで飲むものと思わされていたのだ。

今回なぜ気づけたか?  一日一食によって少しずつ研ぎ澄まされてきている身体が教えてくれたからだ。一日一食しかとらないのにアルコールが空腹時の一発目にくるなんておかしいと身体が教えてくれた。

3日間固形物を抜いたときに、空腹の大半は喉の渇きを勘違いしたものだということを知り、自分で体験して納得した。空腹と喉の渇きの体験と身体からのシグナルを統合させた僕の心が、「お酒が飲みたいという欲求の正体は空腹感では?」という疑問を生み出してくれた。

身体の変化は心を変え、視点を変え、とらわれから解放してくれる。貴重な体験だ。