あの世からリターン

浄土真宗の教えに往相回向(オウソウエコウ)と還相回向(ゲンソウエコウ)がある。

浄土真宗の教えとはつまり真実の教えであり、ほんとのところであり、人類に共通する普遍的なものであるから、わざわざ、「浄土真宗の教えに」と限定するような枕詞はいらない。

ただし浄土真宗本願寺派真宗〇〇派などの教えは偏っているから、「本願寺派の教えによると」や「真宗〇〇派の教えによると」と表記する方が正しい。

 

だから書き直す。

「宇宙の真理として往相回向還相回向がある」

絶対にあるから心配するな。

 

往相回向とは阿弥陀仏の作られた極楽浄土に往生すること。

還相回向とは楽しすぎる極楽浄土に安住するだけでなく、苦しみ多いこの世に戻ってきて、たくさんの人は救うこと。

人類の最後の一人が成仏するまで還相回向は繰り返される。

阿弥陀仏の救いを深く信じて疑わない人は死んで極楽浄土に生まれ変わり、その後またこの世に生まれ多くの人を救う、これを何度も繰り返すということだ。

まさに菩薩の行いである。

阿弥陀仏を深く信じさえすれば、万人が菩薩になれるのだ。

万人が菩薩の行いできるのだ。

なんと素晴らしいことか。

ありがたいことか。

このことひとつを思うだけで南無阿弥陀仏の連呼が止まらない。

南無阿弥陀仏×10000回

 

ちなみに万人が救われるまで還相回向は繰り返されるが、全ての人に阿弥陀仏を信じさせるという意味ではなく、あくまで全ての人が成仏するまでである。

薬師如来を信じて瑠璃光浄土に生まれるなら、それも成仏であり、釈迦如来の霊山浄土で成仏されるもよし。

浄土真実の教えを押しつけるための還相回向ではないことに注意しよう。

 

僕が浄土真実の教えを信じるに至った理由は祖父の存在にあった。

祖父は本願寺派の僧だった。

その祖父のおかげで僕は浄土真実の教えに出会えた。

僕にとって祖父は還相回向して僕を阿弥陀仏の教えに導いてくれたお方だと思い至ったとき、浄土真実の教えに確信を持った。

ある、あるぞ、還相回向はあるぞ、と。

そして思った。

僕も還相回向するぞ。

極楽浄土を堪能した後、喜んで娑婆に戻ってきて菩薩の行いをするぞ、と心に誓った。

 

僕の周りには祖父だけでなく、たくさんの還相回向してきた人たちがいるのだ。

知らずしらずのうちに僕を阿弥陀仏への信仰に導いてくださった数多くの方たちは、全て還相回向してきてくださった人たちだ。

 

みんなで菩薩になろうぜ。

ポップ、ステップ、エコウ!

オーソー、ゲンソー、モーソー!

 

妄想じゃねえよ、馬鹿野郎。