◯◯だけは、って言う人

 

◯◯であるべきだという考え方をする人の近くにいるとしんどい。

◯◯であるべきだという考え方をする人は、◯◯であるべきだというルールを大きな確率で他人にも強制してくる。

心理的に近い他人に強制してくる。

◯◯であるべきだ的思考の人はある意味では几帳面であるため他人と自分の境界線がはっきりとしている。

そのため心理的な意味で身内ではなく他人だと判断した相手に対しては礼を欠かない、非常に紳士な態度で接する。

こちらの意見も尊重してくれるし無理強いはしない。

柔軟で物分かりの良い人にさえ思える。

しかしその態度を信じてこちらが心理的な距離を縮めてしまったら態度は急変する。

心理的に近い存在になったとたんに、◯◯であるべきだという自分のルールを押しつけ、細かいところまでコントロールしようとしはじめる。

 

◯◯であるべきだと考えている人は自分を許さないかわりに他人もゆるさないのだ。

◯◯であるべきだと考えている人は心理的に近い関係である親、兄妹、夫婦、同僚、友人たちが自分とは異なる価値観で生きていくことを認められない。

 

心理的にどんなに近い相手であっても、その人にも自分とは異なる価値観を持つ権利があると理解できないのだから幼稚だとしか言いようがない。

◯◯であるべきだなどとかっこいい人生哲学を振りかざしてはいるが、その実、人を自分の思うようにしたいという欲求をうまくコントロールできないのだから、幼稚園児と同じだ。

 

宗教、哲学、倫理、道徳、思想、主義等々、すべて自分をコントロールするためにあるのであって、他人をコントロールするするためにあるのではない。

 

こういうタイプの人はよく、「(他のことはだいたい許せるけど)◯◯だけは許さない」ってことを口にする。

その◯◯だけってことが他にもたくさんある。

◯◯も◯◯も◯◯も◯◯も◯◯もだけは許せないというのが正確だ。

「◯◯も◯◯もだけ」って、言葉としておかしい。

つまりおかしな思考をしているってことだ。