主観的食欲における反作用の法則/一日一食

今朝は4:45に目が覚めた。

寝たのが23:30くらいだったと思う。

 

昨日の一食は夜だけ。

夜だけたくさん食べた。

お腹がはるくらい食べた。

妻からは、「そんなに食べたら一食にしても意味ないでしょ」と言われるくらい食べた。

食べた量はとても恥ずかしくてここには書けない。

正直に書けばひかれるレベルの量たと思う。

 

食べない方が快適に動ける。

気力がみなぎる。

無駄がない。

集中できる。

やるぞ!って気になる。

これは昨日一日の生活だけでも体験済みだ。

 

一日一食を遂行するための第一関門は午前中に起こる食への欲求をどうやって処理するかということ。

「今日も夜まで食べないぞ」と何度もわざわざ自分に確認してしまう。

これは、「食べたい。腹減った」という欲求が裏返しで表現されたものと言える。

食べないぞ! と決意すればするほど、同じだけの力で、食べたい! という欲求が生まれる。

 

食べないぞという決意の強さは、食べたいという欲求の強さに比例し、またその逆も然りという法則のこと。

これを「主観的食欲における反作用の法則」と名づけることにした。

 

正体不明の敵と向き合うのは怖い。

相手が何者であるのかわからないと戦えない。

敵を知るためにはまずネーミングによるカテゴライズが大切だ。

そうすることで実はあまりよくわかってはいないものを何かがわかったような気がして、少しばかり安心できる。

しかも、ややこしい名前にすればするほど現実感がなくなり、より一層、自分の中の不快な感情を理解した気になれる。

これは、防衛機制のうちのひとつである知性化を利用した解決策のひとつである。

 

一日一食で死ぬことはないだろうと僕は思っている。

飢えることもないだろうとも思う。

医者ではないから断言はできないけど。

そうであれば一日一食生活の遂行を妨害する不安要素の全ては主観的なもの、つまり思い込みであり、生体維持に必要なホメオスタシスの働きとはいえないのである。

 

結局のところ午前中に襲われる、「私はいま空腹です。なにか食べる必要があります」という欲求はすべて勘違いってことだ。

これがわかってないとスタート早々に敗退することになるからね。

 

さあ、今日も一日張り切っていこう!