時給なんぼでは限界あるぜ

おっさんはおとなしくしておけ。

若い者にはまだ負けないなんて思わない方がいい。

若い者にはかなわない。

昔ならおっさんは若い奴らより稼いでいた。

今は若者もおっさんも金かない。

若者もおっさんも安居酒屋にいく。

若さもなければ金もないおっさんは完敗だ。

おっさんはどこに行けばいい。

どこにいたらいい。

終身雇用、福利厚生、一億総中流

昔の話だ。

平和も長くは続かない。

近いうちに戦争になるだろう。

でもおっさんは戦争にも行けない。

若い奴らが戦地でがんばってる間に、銃後で若い女の子の相手でもしてればいいならまだしも、そんな役はどうせ金持ちのはげおやじに持って行かれるだろう。

資本主義からは犠牲的英雄は生まれない。

物理的欲望の充足の追求を肯定すれば人の誇りは失われる。

命あっての物種精神。

命を惜しんで生き延びた方々の子孫が僕たちだ。

感謝しなくちゃな。

おっさんをなめるなよ。

なめられないようなことはしてないけど。

儒教精神で敬えよ。

僕も敬ってこなかったけど。

僕はおっさんになった。

安定した仕事も金も地位も才能もないおっさんはどう生きる。

自己責任で終わらせるにはあまりに辛い。

なんとしても妻だけは幸せにしてあげたい。

でも今は身を粉にして働いても稼げる額は知れている。

時給850円。

長所が死んだ

人とうまく付き合うにはどうすればいいのか。

社会にうまくなじむにはどうしたらいいのか。

納得できる生き方をするにはどうしたらいいのか。

そんなことばかり考え続けてきた44歳だ。

もう遅い。

逆転はない。

あきらめるしかない。

わかっている。

だからどのようにあきらめをつけるかに関心が移りつつある。

先日、予定なしにライブハウスに立ち寄った。

若い子のバンドばかり。

演奏はうまい。

聞いていて気持ちいい。

僕は素直に歓声をあげた。

でも何かしっくりこない。

周りから浮いている。

周りを気にせずライブを観に行ったときには踊って歓声を上げてきた。

若いころからずっとそう。

周りの反応は気にしない。

気持ちが高ぶればそれを素直に表現した。

出演者からは喜ばれた。

今はそれができない。

一見のおっさんがはしゃぐ姿を周囲の若者はどう見るのだろうか。

そのことが気になり、感情を表現できない。

もうだめだ。

こうなったらおしまい。

僕の長所が死んだ。

マイ長所・イズ・デッド

翌日は爆音のおかけで耳鳴りがする。

考えた。

僕の長所が死んだ。

一番の長所が。

死んだら終わりか。

もう終わりか。

なぜ死ぬのか。

死んだらもう次はないのか。

いやいやいや。

生まれ変わるための死もある。

というか、生まれかわるためにこそ死はある。

死なないと生まれ変われない。

だったらラッキー。

生まれ変われたのだ。

親鸞聖人は死んでからではなく、生きている今この場で阿弥陀様に救われることが決まると教えられた。

他力の信心を得ることによって救いは今この瞬間に約束される。

さように生きて生まれ変わることは可能なのだ。

僕の長所は死んだ。

僕は死んだ。

だから生まれ変わった。

だったらどう生まれ変わるか。

死んだ長所の対極にあるものをみたらいい。

着実に積み上げる。

粛々とやる。

出しゃばらない。

静かに耐える。

余計な我は殺す。

わきまえる。

生まれ変わるならこの方向だ。

これらは人とうまくやれる人間になるという今の僕の目標とも合致する。

心の変化がすべてそこに向かってきている。

 引っ込んでろ中年おやじ。

はーい。

負け犬、バンザイ。

方向性に間違いはない。

無関心に近づいた

やった。

人に無関心になれるようになってきた。

確信した。

間違いなく人のことを気にしないでいられるようになっている。

自転車乗っていてもイラつくことがかなり少なくなった。

職場のおばさんにムカつく回数も減ったし、ムカついてもすぐに、「仕方ない」「関係ない」と思える。

きた、この感じ。

この調子でどんどん人に無関心になっていきたい。

この勢いのまま他人とうまいこと付き合える人間になりたい。

簡単に感情に身を委ねず、先の損得をしっかり考えて言動を選ぶ。

ほんとに楽だ。

というか、楽しい。

感情を乗り越えるたびに達成感がある。

ちくしょう。

世間の奴らはこんな気持ちでうまいこと他人と付き合っていやがったんだな。

ほんと、うまいことやりやがって。

これからは僕も仲間入り。

うまくやる。

波風立てずに。

先を見て。

損得をしっかり考えて。

感情に任せず、うまくやる。

この感じ。

この感覚が若いころにあれば、新卒でしっかり就職活動しただろう。

就職したら数年は謙虚に先輩に従い、社会的な常識を身につける。

常識とはうまくやるテクニックのこと。

集団の和を乱さないようにしながらも不適切に自分を殺さないやり方だ。

ほんとにやりたいことは腹の中に置いて、職場の仲間とは無理に共有しない。

会社とプライベートはしっかり分ける。、

そうしてさえしていれば今ごろはまた違う環境にいたはずだ。

遅ればせながらこれからだ。

やり方はわかった。

体感した。

あとはこれをくせにする。

反復して身につける。

仕方ない。

どうしようもない。

あきらめ、バンザイ。

他人のことなんか、誰が知るかい。

この先に自分らしい生き方がある。

やれる、やってやる

来年で45:歳になる。

この歳で再就職は難しい。

今のバイト先で生き残るしかない。

キレてバイトをやめるなんてもっての他だ。

これまでは職場で気に入らないことがあれば態度に出してきた。

それが相手にプレッシャーをかけることになると思っていたから。

結果はいつも自分が職場を去ることになり終わり。

何の力もないくせに、態度は悪く、口だけ達者な鬱陶しい中年おやじでしかないと気づけなかった。

かっこよく言えば、真っ向勝負。

本質は我慢を知らないクソおやじ。 

職場の人間関係なんて自分がほんとにやりたいことをやるためのお金と時間を得るための手段のおまけみたいなものと割り切ってしまえばよかった。

その感覚がなかった。 

今はあとがない。

だからそれができる。

できるというか、せざるを得ない。

以前だったら確実に意見していた場でも意見しない。

否定したい価値観があっても否定しない。

物わかりのいいおっさんになろうと努力している。

腹の中の本音と発する言葉のギャップが地味だけど楽しい。

自分の感情を抑え、賛成できないことに対しても否定せず、そういう考え方もあるんですねと発言し、もやもやした感情を消化する。

この一連の流れが新鮮だ。

人とはうまくやればいいっていうのはこういうことだったのか。

その先に自分の居場所の確保、つまり、とりあえずの安定した収入と自由にできる時間の確保という目標がある。感情的になっても他者をコントロールできない。

感情は表に出さず内に秘める。

人とうまくやっている。

とちらかというと目立たない。

そういう奴のなかに、やばい奴がいる。

極秘捜査にあたってる警察官、爆弾作ってる過激派って感じだ。

今の僕には自分の居場所の確保、つまり、とりあえずの安定した収入と自由にできる時間の確保という目標がある。

絶対に守らなくてはならないものや、やりとげたい目標があれば自分の感情なんて殺せるのだろう。

妻のためになら殺せる。

これならできそうだ。

やってやる。

今までの失敗を取り返してやる。

極秘捜査も爆弾も作らない。

45歳アルバイトの本気を見せてやるぜ。

逃げないで、味わいつくす

まぁいいか。

仕方ない。

自分は自分、他人は他人。

そうやって人と適切な心の距離をとる。

他人のテリトリーを認めると自分のテリトリーも侵されなくなる。

他人には他人の価値観があると認めるのと、自分には自分の価値観があると認めるのとはワンセットだ。

自分の価値観を確立しないと他人の価値観も認められない。

僕には自分の価値観を肯定する自信がない。

誰かに認めてもらわないと不安だから他人に自分の価値観を押し付けようとする。

中途半端な仲間づくり。

受け入れらないから怒った。

自分の価値観を自分だけで肯定できないなら、その価値観は自分のものではない。

誰かから与えられた価値観で物事を判断している限り他人に目が向く。

他人が基準だから仕方ない。

他人がどうなのか、他人にどう思われているのかが一番の問題になる。

自分に自信がないと他人にコントロールされ続けるわけだ。

他人に選択を任せていれば失敗は他人のせいにできる。

自分で決めたら責任は自分にある。

自分の実力や限界を知るのは怖い。

怖いから逃げる。

逃げてるのに逃げられていない。

逃げずにそこにいて対人関係の不快さを見つめ、感情の浮き沈みを静かに味わうことで他者のコントロールから逃れる道がみつかる。

感情の課題をクリアするためにはその感情を味わい尽くすしか方法はなさそうだ。

今日もいろんな感情を味わいに職場に行く。

味わってお腹いっぱいたなったらその感情はなくなるだろう。

激しく浮き沈みをする感情を静かに味わおう。

味わう際のルールは、逃げない、これだけ。

 

失望しなかった

仕方ない、関係ない、興味がない。

僕の出る幕じゃない。

そう想える場面が増えてきた。

そうすると職場の苦手なおばさんのことがあまり気にならなくなってきた。

気にしても疲れるだけ。

仕事場だけの付き合いだ。

この人がどうなろうと僕にはあまり関係ない。

そんなふうに思えるようになってきたのにはきっかけがあった。

僕のいる部署の責任者は僕よりひとまわり年下の男性だ。

彼はよく頑張っている。

だから僕は彼のためにも頑張ろうと思っていた。

ある日彼がおばさんといっしょに客様の悪口を言っていた。

ちなみにその彼もおばさんのことは僕と同じく苦手だ。

もともと愚痴の多い男ではあった。

だけどお客様のことはそれほど悪く言わなかった。

お客様のおかげで自分たちは仕事ができると言っていた。

その彼がすごい勢いでお客様の悪口を言っている。

しかも明らかにお客様の言い分が正しいにも関わらず、「なんだか嫌い。腹が立つ。謝りたくない」と繰り返していた。

おばさんも激しく同意していた。

それを聞いて僕は彼のために頑張ろうという思いが無くなったようだ。

これまで僕はおばさんがいいかげんな仕事をしていたら、お客様のため、彼のために、おばさんになんとなく意見を伝えていた。

それは本来であれば彼がやるべきことだ。

彼はずっとそれを避けていた。

避けてあとで愚痴っていた。

僕はこれからはその役割を担わない。

僕も出しゃばりだったと反省したから。

彼のことを嫌いになったわけではない。

彼の人格に対する評価にそれほど変化はない。

彼の人生だ。僕には関係ない。

そう思えるようになっただけ。

同時におばさんの悪いところも意見するほどまでには気にならなくなっていた。

あきらめるってこういうことか。

彼やおばさんにもっと失望するかなと思っていたけど。

好きか嫌いかしかなかった僕にとっては初めての感覚だ。

こんなふうに気持ちに変化があるときは、その変化を止めようとする力も働く。

それがいま自信のなさというかたちで僕の心を揺さぶっている。

変わらないでいろよ、人に期待し続けたらいいじやん、人に興味を持ち続けたらいいじゃん、人に興味を持たなくなったらさみしいよ、虚しいよ、と足を引っ張ろうとする。

それが自信のなさとなってあらわれているのだと思う。

人生で一番大きな変化のチャンスが訪れている。

だから必ず変わる。

戻らない。

他人は他人だってことが腹の底から納得できたとき、僕は僕、僕の人生は僕が決めるとはっきり宣言できるようになれるはずだ。

やっと、ここまでたどり着いた。

自信がない

僕には自信がない。

自信がないのをごまかすために外見にこだわってきた。

そんなのはすぐばれる。

なめられる。

精神的な安定、つまり自信、自分を信じる力がない限り負けて逃げてを続けるしかない。

自信が欲しい。

成功体験を積みたい。

自分を信じたい。

昨日の自分と今日の自分は同一人物だろうか? 僕はほんとに僕なのか? なんてことは思わないから、そういう意味では自分を信じていないわけじゃないけどね。

中年期危機だ。

生まれてこのかたずっと危機だけどね。

やりたいことはたくさんあるのに、やれることはほとんどないってのはつらい。

みんなそんなもんかな。